LENCONの初めの一歩
うちは何でガラス屋?
身障協会職員 永松 玲子(ながまつ れいこ)
※サリドマイドの薬害のため、両肩から数本の指が少し出ているだけの状態で左目は失明、右目も眼球振動があり弱視(近づけば人がいるか識別できるくらい)
皆さんは両親がどんな仕事をしているか知っていますか?または話を聞いたことがありますか?
私の家はガラス屋で、幼い頃は居間に入る上がり口の横にガラス切り台があったため、私はしょっちゅうガラスの破片が足の裏に刺さり、ずいぶん痛い思いをして泣いていました。そして、その度に両親は仕事の手を止め、足に刺さったガラスの破片をとってくれていました。
破片は大中小さまざまでしたが、大きさに関係なく痛いのです。そして全部取ってもらっても、刺さっていた余韻がしばらく残り、まだ刺さっているような不安も度々感じ、何度見てもらったかわからないほどでした。そしてその度に「うちは何でガラス屋?他のお店ならこんなに痛くないのに」と聞いていたことを憶えています。
両親の答えは憶えていないのですが、きっとその仕事が生きがいになっていて楽しかったのでしょうね。たまの休日にみんなで遊びに出かけても、他のガラス屋がガラスを積んで走っていく様子を見ると、「よそのガラス屋が儲けよる!うちもはよ帰ってガラスを売らな!」と言っていました。私達はせっかくの休日、もっと両親と遊びたかったのですが…。
でも両親がしていたこの仕事、痛い思い出だけではありません。今はもうなくなっていますが、昔は模様(もよう)ガラスというものがあり、みどり、わかば(葉っぱをかたどった模様)夜空、銀河、(星をかたどった模様)ハイウエイ(高速道路のような模様)サーキット(レース場のサーキットのような模様)といった色々な模様ガラスがあり、それを見るのが大好きでした。そして模様ガラスの注文が入ると、なんだかわくわくしていたのを思い出します。
模様ガラスの注文で子供心にワクワクするなんて、その辺のところは両親のDNAを受け継いだのかなと思ったりします。
今はもう両親もガラス屋を引退し、私の足にガラスが刺さることはなくなりましたが、こうして思い出しながら原稿を書いていると、あんなに痛かった破片の痛みも懐かしくなるから不思議ですね。(笑)