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My Story マイ・ストーリー

しんしょう協会について

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My Story マイ・ストーリー 誰もが自分の物語を生きている

 


笛田 ちひろ(ふえだ ちひろ)さん

 

《ウエスト症候群》


 

病気、いじめ、ひきこもり

 生後半年で「ウエスト症候群(しょうこうぐん)(点頭(てんとう)てんかん)」を発病しました。この病気は、5年前に国の難病指定を受けたばかり。つい最近までよくわからない病気だったんです。母に聞くと「息をしているだけの状態だった」とー。原因もわからず、治療法もなくて、5歳まで生きられるか、生きたとしても一生マヒ状態が続くだろうと言われたそうです。だから母は、家の中でやれることをやりながら、ただ寿命を見守るしかなかったと言います。

 

 だけど、4歳になって突然症状が治まりました。理由はわかりません。治ったわけではないから、今にいたるまで爆弾を抱えているようなものですが、症状が治まってからは急成長したそうです。でも、そこから小学校に入るまでたった2年―当然色んなことが追いつかないわけです。で、小学校に入ると「変な子」だと。そこから始まったいじめは、学生時代ずっと続きました。友だちは一人も出来なかったけど、小学校3年生の時に出会ったリコーダーは、手にしたその日に教科書の曲を全部演奏してしまうほど一瞬で虜になり、リコーダー演奏を生業(なりわい)とする今に至っています。

 

 このウエスト症候群という病気の発作的な症状の一つと思われるのですが、私は外に出ると視力が一気に低下してしまいます。ほんとうに真っ暗で、全盲のような状態になることもあるので白杖(はくじょう)が欠かせません。だけど、落ち着いている時は見えているので、視覚障害の認定には至りません。

 「見える時と全く見えない時がある」ということを理解してもらうのは難しくて、白杖片手に何かを見ていたら「嘘つき」と思われてしまいます。以前、ある試食コーナーで、店員さんに爪楊枝に刺したおかずを差し出されたので、受け取ろうとしたらパっとかわされたんです。とっさにそれを追うと、「なんだ、見えてるじゃないか。見えるかどうか試してみたんだ」って。子どものいたずらみたいにね。すごくショックでした。

 

 大人になってからも6、7年くらいは引きこもっていたかな。勇気をだして、ちょっと出てみては撃沈して、の繰り返し。ある時、もう自殺しようと思って、母親の前で包丁を置いて「死ぬ!」って言ったんです。当然、母は叱ると思いました。5歳までしか生きられないと言われながら必死に育て上げた我が子が、目の前で「死ぬ」なんて言っているんですから…。だけど母は叱らずに「本当に生きていたくないなら、お母さんも一緒に死ぬから一人で死ぬのだけはやめてね」って言うんです。びっくりしちゃってね。でもそこで思いました。「いよいよダメな時は、一人じゃないんだ」って。変な話、一緒に死んでくれる人がいると思ったら、なんだか吹っ切れて「失うものなんてないな。じゃあ一歩踏み出すか。リコーダー一つ持って」って―。今思えば、それがターニングポイントだったかもしれません。

 

相談する側からされる側へ

 私はフリーランスでリコーダー演奏と講演活動をしています。その他、週に1回、北九州市市民活動サポートセンターで相談員をしています。センターは、元々私自身がひきこもり時代に入り浸っていた場所で、訪れてはスタッフに話し相手になってもらっていました。ある時スタッフに「相談員の枠があるけどやってみる?私たちがあなたの話を聞いてきたみたいに、今度はあなたが話を聞いてあげる立場になってみてはどう?」と誘われました。病気やいじめ、引きこもりの経験も、誰かの役に立つことがあるのかもと思い、引き受けました。心の中にモヤモヤがある人はたくさんいるんです。「カウンセラーと面談」とまではいかないけど、家族には言えないな、学校でのことは学校に相談しにくいな、とかね。「子どもが引きこもっているけど、外へ出すきっかけが掴めない」「子どもが性別に悩んでいるけど、どう声掛けしたらいい?」と悩む親御さんもいます。私は、そんな持って行きようのないモヤモヤを抱えた人の受け皿になれたらと思っています。

 

 本業はリコーダー演奏と講演活動なんですが、コロナのご時世では、ホントに仕事が出来なくて…。そんな中、週1回でも相談員という仕事があること、必要とされる場所があるということは、とても有難かったですね。コロナが治まったら本業もフル稼働です。「北九州でリコーダーといえば笛田ちひろ」って思って頂けるくらい活動して、いつかはリコーダーで全国行脚したいと思っています。

 

▲SOSカード

大都会は冷たくない

 私は、突然見えなくなって動けなくなった時のために、自前のSOSカードを持ち歩いています。カードには『今すぐ「どうしましたか?」と私に声をかけて下さい』と書いています。声のかけ方がわからないって、よく聞くでしょう?

 これを持って東京に行った時のことです。カードを小脇に抱えて歩いていたら「困っていることはありますか?ちらっとSOSが見えたものですから」と声が掛かりました。その後も、「私と一緒に階段を上りませんか」「青になったから一緒に渡りましょう」など、誰かがすっと来ては声を掛けてくれるんです。「私と一緒に○○しましょう」ってとても自然で、「では、お願いします」って言いやすいんですね。

 

 地下鉄に乗ったら、すかさずお客さんが別のお客さんに「今、杖の方が乗ってこられたので申し訳ありませんが席を譲っていただけませんか」と言われました。しかもその方、席を譲ったお客さんに頭を下げて「譲って頂いてありがとうございます」って…駅員さんかと思うくらいでした。そして何人かの方が、連携プレイで私を席まで誘導してくれました。お客さん同士で声を掛け合ってごく自然に…理想ですよね。東京は、東日本大震災(ひがしにほんだいしんさい)以降変わってきたんじゃないでしょうか。多様性を受け止めている、そんな実感がありました。ひと頃言われた「大都会=冷たい」の公式は、もう違うなって―。誰かが困っていたら誰かが手を差し伸べる。健常者(けんじょうしゃ)という言葉どおりの、常に健(すこ)やかな人なんていないから、「お互い様」で生きていけたらいいですね。

 

特別な人、特殊な人ではない

 社会はどこか障害者を「特別な人」として扱います。

 パラリンピックもそうですが、「特殊な人を理解しないといけない」みたいな空気があります。そうじゃなくて、どこにでもいる普通の人にちょっと不自由なことがあるだけ。そんな社会になって初めて、障害者も社会の一員になれるんじゃないでしょうか。

 私はLGBT等、多様な性についての啓発活動もしていますが、LGBTと障害者は、共通点が多いですね。「こういうご時世だから、理解してあげなきゃ」みたいなところ、接し方もそう。

 

 先日、高齢者ばかりの施設でLGBTの講演をしました。LGBTなんて言葉にはピンと来なくても「九州男児(きゅうしゅうだんじ)」「女のくせに」など「男は」「女は」が今よりずっと激しかった時代を生きてきた人たちです。性別の枠に閉じ込められて、息苦しさを感じた人もいたでしょう。体を変えてまで性別を変えようとはしなくても、そうまでしてでも変えたいと思って苦しんでいる人とは紙一重で、決して特別な人たちではないでしょう?と話しました。あとから一人、お婆さんが来て「今の時代に生まれていたら、私は体を変えていたかもしれん」って言われました。

 

踏み出してこそ

 引きこもりから一歩踏み出したものの、マイノリティにとって、社会には想像を超える大変さがありました。でも踏み出したからこそ、応援してくれる人も増えたんです。ずっといじめられてきたし引きこもりだったから、友だちは見事にゼロ人でしたけど、今は「友だち100人」どころじゃありません(笑) だから、生きていけるんです。これからも自分らしく生きていきたいし、誰もが自分らしくいられる社会になってほしいですね。

 

ここまで本文です。

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