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LENCONのはじめの一歩

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LENCONの初めの一歩

小さな1人歩き

 身障協会職員 永松 玲子(ながまつ れいこ)

※サリドマイドの薬害のため、両肩から数本の指が少し出ているだけの状態で左目は失明、右目も眼球振動があり弱視(近づけば人がいるか識別できるくらい)

 

 前回は、両肩から数本の指が出ている私の障害の事を書き、どんなふうに「寝返り、座り、捕まり立ち、伝い歩き」を始めたのかを書きました。今回はその続きで「小さな1人歩き編」です。

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 壁にもたれて歩き始めた私は、とにかく部屋の中で壁に沿ってやたらと歩いていました。たぶん

自分の足で立って歩く楽しさを全身で感じていたのでしょう。歩くスピードもだんだん速くなり、調子に乗って歩いていると、いきなり壁がなくなります。そうなると、当たり前なのですがバランスをくずし転んでしまい、よく泣いていました。

 たぶん、転んで泣くのは障害があってもなくても、ヨチヨチ歩きの子なら誰でも経験することです。

私の場合、転んでしまうと必ず顔にけがをするか、両足の膝にけがをしていました。両親は私が転ぶたびにずいぶん心配したと思うのですが、そこで止めさせなかったのは凄いと思います。 

 転んでは泣き転んでは泣きを繰り返すうちに、だんだん壁がなくなってもちゃんと歩けるようになっ

てきました。そうなると今度は家の外に興味がわき、外へ出ようと思い始めます。その頃の我が家は、ガラス屋をしていましたので危険も多く、両親は外へ出ようとする私を追いかけるのが大変だったようです。何しろ私は見えにくいということが分かっておらず、外から聴こえる人の声や物音に反応し、好奇心いっぱいで外に出ようとしていました。

 外に出て遊ぶことの楽しさを知った私は、1つ下の妹の動きを何でも真似をしながら付いていき、同じ年頃の近所の子供達とも遊ぶようになり、そのうち小走りで家の周りを走り回るようになりました。

 この小走りという動きもたぶん妹の動きを見ながら真似をしていたのだと思います。私の場合、世

間の兄弟姉妹とはまったく逆です。本当は上の子が色々覚え、下の子がそれを真似て覚えていくはずなのですが、私の場合は妹から遊びを通して色々と覚えました。

 もしかすると、自分のすることを何でも真似をして付いてくる私の事が妹は嫌だったかもしれませ

ん。

また、私は歩き慣れない道だとすぐに両親の背中におんぶされていました。なので、妹には凄く寂しい想いもさせていたと思います。

 でも私は妹がいて良かったと思います。歩くきっかけをくれたのは妹だと思うので・・。

ここまで本文です。

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