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My Story マイ・ストーリー

しんしょう協会について

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My Story マイ・ストーリー

▲田村光司(たむらこうじ)さん/妻 ルミ子さん

誰もが自分の物語を生きている


田村 光司さん

(たむら こうじ

《内部障害:オストメイト》

   妻/ルミ子さん

 

 ※オストメイトとは、様々な病気や事故などにより、お腹に排泄のための『ストーマ(人工肛門・人工膀胱)』を造設した人を『オストメイト』といいます。ストーマ装具とは、ストーマから排出された排泄物や分泌物をためるもので、袋(パウチ)と袋をお腹に粘着させる面板から構成されます。


ここに、あるものをつけるんだよ

 

 ルミ子さん(以下 ル)主人が膀胱(ぼうこう)がんの手術をしたのは34歳の時です。当時、患者としては日本で一番若かったみたいで、病院の先生に「膀胱がんって年寄りの病気なんだよね」と言われました。結婚して2か月目でした。結婚後ほどなくして主人の顔色がすごく悪くなったものだから、みんな私が悪いって(笑)本人は少し前からおかしいって分かってたみたいなんだけど…。

 光司さん(以下 光)前々から血尿はあって…調子が悪いっていうより、息苦しい感じはあったんだよ。

 ルそれである時、血尿がひどくなって全く歩けなくなって―。病院へ行くと、先生に「心臓が人の何倍も強いから生きてたけど、普通の人なら出血多量で死んでるよ」って言われたんだよね。

 光)入院するまで普通に仕事してたけど、ありゃ心臓が空回りしてたんだな。

 ル)主人は東京生まれの東京育ち。印刷会社で印刷物の配送をしていて、日本全国、車でどこへでも行ってました。30代で、バリバリ仕事をしてた頃よね。

 光)車の運転は好きなんだろうな。移動に何時間かかろうが、全く苦にならなかった。

 ル)当時入院した病院には、日本でも指折りの先生がいて、手術の時「取れるようなら、がんは内視鏡で取ろうね」って言われてたのよね。だけど、半身麻酔だった主人は、先生が「あ。こりゃ駄目だ」って言うのが聞こえたんですって。それで次の日、外科の先生が来て「田村君。ショックを受けるだろうけど、印だけ書いていくね」って言って、お腹に印を書くわけ。「先生それ何ですか?」って聞いたら、「うん。ここにあるものをつけるんだよ」って言って、そのまま出て行ってしまって。私たち「膀胱がんの手術をします」って言われただけで、「人工膀胱」をつけるとも何とも言われてないのよ。詳しい説明もないまま、朝、手術室に入って出てきたのは夕方かな。その後、腸(ちょう)閉塞(へいそく)を起こして、通常2、3日で出るICUに1ヶ月いたわよね。あの時が一番大変だったかな…。

 光)食欲はあっても、腸が動いてなかったんだな。

­­­­ ル)それでも、何か食べさせたいから先生に聞いたら、ガムならいいと。それで、ガムを1カートン病院に持って行ったのよね。でも次の日に行くと、「無くなったからまた持ってきて」って言うから「どうして?」って聞いたら、「お見舞いの来ない患者さんに全部配っちゃった」って(笑)看護師さんが「田村さん、自分が大変なのに、みんなを元気づけてるんですよ」って。元々そういう性格でね。結局、毎日ガムを持って行ってたわよね、私。色んな種類の(笑)

 

装具をつけて職場復帰

 

 光)手術の後、初めて「人工膀胱」が付いていることに気づいたけど…そこは別段、ショックを受けるわけでもなかったな。

  ル)二人とも、性格的に「あ。ついてる」くらいで…(笑)先生も先生で、「膀胱を取らずに温存する方法もあるけど、そうすると再発の可能性もあるし、ずっと尿が漏れた状態になるから、どっちがいいか考えたけど取っちゃったよ」って(笑)当時はそれほど症例も多くなかっただろうし、先生に言われれば「はい、そうですか」の時代ですよ。だけど、「人工膀胱」なんて見たことも聞いたこともなかったし、看護師さんたちでさえ、どうしたらいいかわからないような感じでした。装具を付けてもすぐ漏れるし、今みたいに皮膚を綺麗に拭くものも無くて…。退院後、職場に復帰したけど、いつ漏れるかわからないから、最初のうちは私が仕事場までついて行ってたよね。

 光)漏れてもあんまり気にしないんだ、僕は。

 ル)「漏れちゃったよ」なんて言って仕事の途中で帰ってきたりしてね。私も「あらそう」って貼り替えるような感じで。主人も私も気にしない呑気なタイプだから良かったかもしれません。これで神経質だったら大変だったでしょうね。そんなだから、病院に行ったら先生から「田村くん、今度手術する人がすっごく心配してるから、ちょっと病室に行って説明してきてよ」なんて言われて、説明に行った人が2、3人はいたわよね(笑)

 光)悩んだって仕方ないからさ。なったもんはなったんだから。

 ル)職場の人にも事情を話していたから、良くしてくれていたんだけど、逆に「光(こう)ちゃん、大丈夫?」ってみんなに心配されるのがちょっと苦手なところもあって、2年くらいして転職したのよね。

 光)だけど会社を辞めても、前の会社の社員旅行は、俺がマイクロバスを運転してみんなを乗っけて行くんだよな。時期になると、「光ちゃん、旅行だよー」って声がかかるの(笑)みんな事情がわかってたから、箱根なんかしょっちゅう行って、全然構わずにみんなで一緒に温泉入ってたよ。みんな変わらず普通に接してくれてたよな。


ケ・セラ・セラ

 

 ル)結婚して30年以上東京暮らしだったけど、私の母の介護を機に、私の地元の北九州に越してきたの。すぐに区役所に行って、装具が買える薬局を紹介してもらったけど、その薬局がよく移転してたから、追いかけてあちこち買いに行くのは大変だったね。

 光)車で買いに行ってたな。今は届けてくれるようになったけど。

 ル)装具もずいぶん良くなったよね。昔は接着も良くなくて2、3日で剥がれるか、破れるかでしたよ。公的な補助もなかったから全部実費だったしね。

 光)50年近く前の、ほんとに何もなかったところから始まっているからなあ。

 ル)以前は、出かける時はいつも装具の予備を3、4枚は持って行ってたけど、最近の装具は性能が良くなったから、余分に持っていくことをしなくなっちゃったわね。災害の時のストックは考えているけど…。

 光)車にはいつも装具と洗浄綿と尿もれパッドなんかをセットにして積んでおいたけどな。

 ル)そう。でも実は、今月いっぱいで車の免許を返納すると決めてて―。いつかはそうしないといけないものだしね。これから先のこともあまりクヨクヨ考えてないけど、心配なことと言えば、主人が寝たきりになったりして私も思うように動けなくなった時かな。性格的に主人はデイサービスには行かないだろうから、訪問看護で装具の貼り替えをやってもらえるのかな、とかね。装具の貼り替えは、ずっと私がやってきたし今のところは、私が最後までやるつもりでいるんだけど、もしもの時はどうなるかなって…。

 光)誰もいなかったら、自分でやるよ。この人が旅行で居ない時なんかは、やってたんだから。

 ル)そうね。斜めについちゃってたけどね(笑)その時はその時ね。そもそも、結婚して2ヶ月で手術して、3ヶ月間入院して、もうずうっと「人工膀胱」が当たり前の生活をしてきたでしょう?それも良かったかな。なんだかもう全部受け止めちゃってるから。大変と言えば大変だったかな…忘れちゃったね。二人で深刻になることもなかったしね。

 光)なる必要がないよな。病気だって、誰も好き好んでなるわけじゃないし、考えたってしょうがないんだよ。

 ル)ずっと「ケ・セラ・セラ」よね。いや、落ち込むこともあるのよ(笑)あるけど、2日持たないわね。心配事に引っ張られて眠れないことだって私にもあるけど、2日くらい経つと「考えてもしょうがないよね」「なるようにしかならないよね」って―。


もう一度、東京へ!

 

 ル)前の家は東京ディズニーランドの近くで、甥っ子や姪っ子、その子どもたちとも、よくディズニーランドに行って一緒に遊びました。子どものいない生活でしたが、お陰さまで寂しいことは無かったですね。車で旅行にもずいぶん行きました。何が楽しみって、テレビを見てて「あっ、ここ行ったよね、ここにも行ったよね」って話すこと(笑)九州に来てからも、毎年車で東京に行っていたんですよ。友だちもいるし、もう一度、今度は新幹線で東京に行くのが目下の楽しみだけど、主人、去年病気をして急に足にきちゃって…。歩けるようになったら、行くのよね、お父さん。

 光)……

 ル)行きます!(笑)

▲冊子「ストーマについて知ってほしいこと」

オストメイトをわかりやすくマンガで説明した冊子「ストーマについて知ってほしいこと」は、

ウェルとばた6F 身体障害者福祉協会にあります。

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