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しんしょう協会について

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MyStoryマイ・ストーリー

安村(やすむら) 佐代子(さよこ)(やすむら さよこ)さん

(だれ)もが自分(じぶん)物語(ものがたり)生き(いき)ている


安村(やすむら) 佐代子(さよこ)さん

(やすむら さよこ

 内部(ないぶ)腎臓(じんぞう)機能(きのう)(じんぞうきのう)障害(しょうがい)


学校(がっこう)検尿(けんにょう)引っかかる(ひっかかる)

 

 小学校(しょうがっこう)年生(ねんせい)(とき)学校(がっこう)検尿(けんにょう)引っかかり(ひっかかり)検査(けんさ)入院(にゅういん)慢性(まんせい)(まんせい)(じん)(えん)(じんえん)と診断(しんだん)されました。(はは)言う(いう)には、小さな(ちいさな)(ころ)からよく高熱(こうねつ)出し(だし)ては入院(にゅういん)していたそうですが、点滴(てんてき)しながら(ねつ)下がる(さがる)まで安静(あんせい)にさせるための入院(にゅういん)で、特に(とくに)大きな(おおきな)検査(けんさ)はしていなかったそうです。どこかで尿(にょう)検査(けんさ)でもしていたら、もっと早く(はやく)分かっ(わかっ)たのかもしれませんね。とにかく、入院(にゅういん)必要(ひつよう)なほどひどい高熱(こうねつ)続く(つづく)ことはよくあったようです。

 腎臓(じんぞう)(びょう)(じんぞうびょう)は、一般(いっぱん)(てき)塩分(えんぶん)制限(せいげん)安静(あんせい)必要(ひつよう)病気(びょうき)です。小学校(しょうがっこう)年生(ねんせい)の1年間(ねんかん)は、給食(きゅうしょく)ではなく(はは)手作り(てづくり)弁当(べんとう)持っ(もっ)行っ(いっ)てました。自分(じぶん)だけみんなと違っ(ちがっ)てお弁当(べんとう)というのは、子供(こども)(こども)(しん)(ごころ)に非常(ひじょう)(からし)(つら)かったです。(くすり)は1、2(ねん)飲ん(のん)でいましたが、その後(そのご)特に(とくに)(からだ)不調(ふちょう)もなく、普通(ふつう)どおりの生活(せいかつ)送っ(おくっ)ていました。

 スポーツが好き(すき)で、中学校(ちゅうがっこう)では女子(じょし)バレーボール()入り(はいり)体育(たいいく)のマラソンも普通(ふつう)走っ(はしっ)ていました。でも、中学(ちゅうがく)(ねん)(とき)にまた高熱(こうねつ)()病院(びょういん)行く(いく)と、先生(せんせい)から「腎臓(じんぞう)悪い(わるい)高熱(こうねつ)出る(でる)ので、扁桃腺(へんとうせん)(へんとうせん)の摘(てき)()(しゅつ)手術(しゅじゅつ)をしましょう。(じん)機能(きのう)低下(ていか)しているから、部活(ぶかつ)辞め(やめ)てください」と言わ(いわ)れました。選手(せんしゅ)生命(せいめい)絶た(たた)れましたが、みんなを支える(ささえる)ために(なに)かできないかと思い(おもい)、マネージャーへと転向(てんこう)しました。

 扁桃腺(へんとうせん)摘出(てきしゅつ)してからは、不思議(ふしぎ)なくらい全く(まったく)(ねつ)()なくなリました。今日(きょう)至る(いたる)まで、感染(かんせん)(しょう)(いち)()もかかってないんですよ。


出産(しゅっさん)無理(むり)です

 

 幼少(ようしょう)()から病院(びょういん)にはよくかかっていましたが、その(たび)看護(かんご)()さんにはとても良く(よく)して頂き(いただき)ました。病気(びょうき)最中(さいちゅう)(さなか)、優しい(やさしい)看護(かんご)()さんの笑顔(えがお)には本当に(ほんとうに)癒さ(いやさ)れましたし、(わたし)患者(かんじゃ)さんの役に立ち(やくにたち)たいと思い(おもい)高校(こうこう)看護(かんご)()になるための学校(がっこう)進学(しんがく)しました。これは、自身(じしん)腎臓(じんぞう)(びょう)について学ぶ(まなぶ)きっかけにもなりました。

 幸い(さいわい)腎臓(じんぞう)落ち着き(おちつき)高校(こうこう)年間(ねんかん)無事(ぶじ)修了(しゅうりょう)しました。そして(じゅん)(じゅん)看護(かんご)()資格(しかく)取得(しゅとく)し、その後(そのご)専攻(せんこう)()進ん(すすん)でさらに2年間(ねんかん)学び(まなび)晴れ(はれ)看護(かんご)()になり(いま)至り(いたり)ます。

結婚(けっこん)は22(さい)(とき)でした。お付き合い(つきあい)始め(はじめ)当初(とうしょ)主人(しゅじん)お母さん(おかあさん)からは「腎臓(じんぞう)(びょう)(ひと)をお嫁さん(よめさん)にもらったら、いずれ人工(じんこう)(じんこう)透析(とうせき)(とうせき)になって苦労(くろう)するから」と、結婚(けっこん)反対(はんたい)されました。(わたし)(はは)も「腎臓(じんぞう)(びょう)(むすめ)申し訳(もうしわけ)ない」と。でもその(とき)、お義父(ぎふ)(とう)さんが「自分(じぶん)たちが結婚(けっこん)するわけじゃない。息子(むすこ)思う(おもう)ようにさせてやったらどうだ」と言っ(いっ)てくれたんです。

 結婚(けっこん)()も、(わたし)としては普通(ふつう)に、元気(げんき)過ごし(すごし)ていたものの、腎臓(じんぞう)検査(けんさ)をするとやはりデータは良く(よく)ありませんでした。かかりつけの病院(びょういん)先生(せんせい)からは、「この状態(じょうたい)妊娠(にんしん)出産(しゅっさん)無理(むり)ですよ。(たい)(あきら)めてください」と言わ(いわ)れていました。「子ども(こども)出来(でき)ないなら、また好き(すき)なバレーボールでも始めよ(はじめよ)う」とママさんバレーを始め(はじめ)矢先(やさき)のことでした。妊娠(にんしん)していることが分かっ(わかっ)たのです。でも、妊娠(にんしん)出産(しゅっさん)諦める(あきらめる)ように言わ(いわ)れていたこともあり、かかりつけの病院(びょういん)にある産婦人科(さんふじんか)には行き(いき)づらくて()病院(びょういん)探し(さがし)たところ、腎臓(じんぞう)持病(じびょう)があると、出産(しゅっさん)受け入れ(うけいれ)てくれる病院(びょういん)全く(まったく)ありませんでした。そんな(なか)、「いい先生(せんせい)がいるから」と(すすむ)(すす)められたのは、結局(けっきょく)、かかりつけの病院(びょういん)産婦人科(さんふじんか)でした。((えみ)

 診察(しんさつ)をした先生(せんせい)(はなし)では、「この状態(じょうたい)なら、いずれは透析(とうせき)になる。妊娠(にんしん)途中(とちゅう)透析(とうせき)になって出産(しゅっさん)ということもあり()(え)る」ということでした。でも、夫婦(ふうふ)でこの説明(せつめい)聞い(きい)気持ち(きもち)固まり(かたまり)ました。「透析(とうせき)開始(かいし)する時期(じき)早い(はやい)遅い(おそい)かだけなら、早く(はやく)透析(とうせき)になっても構わ(かまわ)ない。子ども(こども)授かる(さずかる)ことができるなら」と。


人工(じんこう)透析(とうせき)しながら出産(しゅっさん)

 

 腎臓(じんぞう)治療(ちりょう)をしながら赤ちゃん(あかちゃん)様子(ようす)見る(みる)ために入院(にゅういん)し、妊娠(にんしん)ヶ月(かげつ)()からは(しゅう)(かい)透析(とうせき)受ける(うける)ことになりました。妊娠(にんしん)進む(すすむ)につれて、透析(とうせき)(しゅう)(かい)になりました。

 その病院(びょういん)では、透析(とうせき)患者(かんじゃ)さんが妊娠(にんしん)出産(しゅっさん)した(れい)一度(いちど)あっただけで、(わたし)のように妊娠(にんしん)()透析(とうせき)開始(かいし)して出産(しゅっさん)するケースは初めて(はじめて)で、先生(せんせい)手探り(てさぐり)状態(じょうたい)だったと思い(おもい)ます。実際(じっさい)透析(とうせき)(ちゅう)貧血(ひんけつ)起こし(おこし)輸血(ゆけつ)をする事態(じたい)になったこともありました。

 そんな状態(じょうたい)でしたので、病室(びょうしつ)産科(さんか)ではなく、がん患者(かんじゃ)さんたちと一緒(いっしょ)の6(にん)部屋(へや)でした。産科(さんか)聞ける(きける)はずの「出産(しゅっさん)への心構え(こころがまえ)」のような(はなし)も「安村(やすむら)さんはいいですよ」と聞け(きけ)ず、知識(ちしき)情報(じょうほう)もないままでとても不安(ふあん)でした。赤ちゃん(あかちゃん)がどうなるかわからない状況(じょうきょう)だったということもあって、看護(かんご)()さんたちも対処(たいしょ)分から(わから)なかったのでしょう。同室(どうしつ)のがん患者(かんじゃ)さんたちにはいつも「頑張っ(がんばっ)て、頑張っ(がんばっ)て!」と励まさ(はげまさ)れていました。それぞれに辛い(つらい)状況(じょうきょう)だったと思い(おもい)ます。その(なか)で、お互い(おたがい)笑い(わらい)合っ(あっ)励まし(はげまし)合っ(あっ)て、「この部屋(へや)良かっ(よかっ)た!」と心から(こころから)思う(おもう)ことができました。

 いよいよ出産(しゅっさん)近づき(ちかづき)産科(さんか)(ほう)移っ(うつっ)てください」と言わ(いわ)れた(とき)は、「もしかして産める(うめる)の?」と期待(きたい)膨らむ(ふくらむ)一方(いっぽう)で、駄目(だめ)かもしれないという覚悟(かくご)もしていました。でも、病院(びょういん)先生(せんせい)看護(かんご)()さんも、帝王(ていおう)(ていおう)切開(せっかい)(せっかい)での出産(しゅっさん)視野(しや)入れ(いれ)つつ、出産(しゅっさん)向け(むけ)大事(だいじ)に、大事(だいじ)見守っ(みまもっ)てくださっていました。

 それなのにある()外泊(がいはく)(ちゅう)にちょっとした段差(だんさ)踏み外し(ふみはずし)転倒(てんとう)してしまい、お腹(おなか)痛く(いたく)なって慌て(あわて)(くるま)病院(びょういん)帰っ(かえっ)たのですが、ワゴン(しゃ)揺れ(ゆれ)のせいもあってなのか、そのまま自然(しぜん)分娩(ぶんべん)予定(よてい)より1ヶ月(かげつ)くらい早く(はやく)元気(げんき)男の子(おとこのこ)生まれ(うまれ)ました。元気(げんき)赤ちゃん(あかちゃん)誕生(たんじょう)を、みんな(しん)から喜ん(よろこん)でくれました。


母親(ははおや)腎臓(じんぞう)移植(いしょく)(いしょく)

 

 出産(しゅっさん)()一旦(いったん)(いったん)透析(とうせき)から離れ(はなれ)たものの、(じん)機能(きのう)悪く(わるく)なり本格(ほんかく)(てき)透析(とうせき)始まり(はじまり)ました。(じん)機能(きのう)障害(しょうがい)障害(しょうがい)(しゃ)手帳(てちょう)取得(しゅとく)する一方(いっぽう)で、もう(いち)(にん)子ども(こども)欲しい(ほしい)という(よく)()てきました。病院(びょういん)先生(せんせい)にそのことを相談(そうだん)すると、「腎臓(じんぞう)移植(いしょく)をした(ほう)がいいよ」と言わ(いわ)れました。

 腎臓(じんぞう)移植(いしょく)手術(しゅじゅつ)受け(うけ)たのは平成(へいせい)(ねん)2月(にがつ)25(にち)今年(ことし)で31(ねん)経ち(たち)ました。ドナーは母親(ははおや)です。手術(しゅじゅつ)(しつ)入る(はいる)(とき)(よこ)のベッドにいる(はは)姿(すがた)()(とき)は、申し訳(もうしわけ)なさと感謝(かんしゃ)で、なんとも言え(いえ)ない気持ち(きもち)になりました。無事(ぶじ)手術(しゅじゅつ)終わり(おわり)透析(とうせき)(ちゅう)全く(まったく)()なくなっていた尿(にょう)()(とき)は、(はは)一緒(いっしょ)になって喜ん(よろこん)でくれました。移植(いしょく)()(くち)にしたお(みず)、おもゆはとっても美味(びみ)(おい)しかったです。移植(いしょく)をして本当(ほんとう)(あじ)知り(しり)ました。

 移植(いしょく)から9(ねん)()に、女の子(おんなのこ)授かり(さずかり)ました。妊娠(にんしん)分かっ(わかっ)(とき)はみんな心配(しんぱい)して、中学(ちゅうがく)年生(ねんせい)になっていた(うえ)()も「お母さん(おかあさん)、そんな大変(たいへん)なこと2(かい)もしなくていい!」って…。でも、行事(ぎょうじ)学校(がっこう)行っ(いっ)(とき)に、女の子(おんなのこ)たちが寄っ(よっ)てきて「おばちゃん、赤ちゃん(あかちゃん)おるんやねー!」って言い(いい)ながらお腹(おなか)をさすってくれたのを長男(ちょうなん)()て、表情(ひょうじょう)()(やわ)らいだのが分かり(わかり)ました。

 担当(たんとう)()からは、「移植(いしょく)()免疫(めんえき)(めんえき)抑制(よくせい)(ざい)(よくせいざい)などのリスクがあります」と言わ(いわ)れましたが、主人(しゅじん)と「どんな()でも()(にん)協力(きょうりょく)しあって育て(そだて)ます」と伝え(つたえ)ました。

 長男(ちょうなん)(とき)とは違っ(ちがっ)て、今度(こんど)産科(さんか)できちんと準備(じゅんび)して、体制(たいせい)整え(ととのえ)出産(しゅっさん)に臨(のぞ)むことができました。

 生まれ(うまれ)(いもうと)を、お兄ちゃん(にいちゃん)はすごく可愛(かわい)がってくれました。36(さい)と22(さい)になった(いま)(なか)良く(よく)北九州(きたきゅうしゅう)マラソンに()(にん)出場(しゅつじょう)して無事(ぶじ)完走(かんそう)しました。とっても嬉し(うれし)そうでしたよ。


生き(いき)ていて良かっ(よかっ)

 

 腎臓(じんぞう)(びょう)患者(かんじゃ)さんは、出産(しゅっさん)諦める(あきらめる)(ひと)多い(おおい)聞き(きき)ます。もちろん患者(かんじゃ)さん(いち)(にん)(いち)(にん)状況(じょうきょう)違う(ちがう)けれど、「妊娠(にんしん)出産(しゅっさん)諦め(あきらめ)て」と言わ(いわ)れていた(わたし)の「妊娠(にんしん)透析(とうせき)出産(しゅっさん)」「移植(いしょく)妊娠(にんしん)出産(しゅっさん)」という流れ(ながれ)前例(ぜんれい)一つ(ひとつ)となって、()続く(つづく)患者(かんじゃ)さんの選択肢(せんたくし)増やせ(ふやせ)たなら嬉しい(うれしい)ですね。

 (わたし)はこれまで、13の様々(さまざま)手術(しゅじゅつ)経験(けいけん)しています。(かべ)にぶつかっては凹(へこ)んで嘆(なげ)く(わたし)に「大丈夫(だいじょうぶ)大丈夫(だいじょうぶ)」と言っ(いっ)てくれるのが主人(しゅじん)子ども(こども)たちであり、どん底(どんぞこ)から這(は)い上がっ(あがっ)来ら(きたら)れたのは、その時々(ときどき)周り(まわり)(ひと)恵まれ(めぐまれ)たからですよね。(つね)日頃(ひごろ)から一期一会(いちごいちえ)(いちごいちえ)を大切(たいせつ)にしています。

 腎臓(じんぞう)移植(いしょく)(のち)、42日間(にちかん)面会(めんかい)(めんかい)謝絶(しゃぜつ)(しゃぜつ)で過ごし(すごし)無菌(むきん)(しつ)(むきんしつ)で、高熱(こうねつ)にうなされ「ああ、もう駄目(だめ)かも」と(なん)()思い(おもい)ながら、(まど)から見える(みえる)(つき)(ほし)に「どうか治り(なおり)ますように」と毎日(まいにち)祈っ(いのっ)ていたこと。やっと(そと)歩ける(あるける)ようになった(とき)、「ああ、生き(いき)ていて良かっ(よかっ)た」と思っ(おもっ)たこと。そんな経験(けいけん)も、(かて)(かて)になっているのでしょう。

 見た目(みため)にわからない内部(ないぶ)障害(しょうがい)は、周り(まわり)(ひと)理解(りかい)()にくい場面(ばめん)があります。元気(げんき)そうに見え(みえ)ても、長く(ながく)立っ(たっ)ているのは辛い(つらい)座り(すわり)たいけど言い(いい)にくい。などはよく聞く(きく)(はなし)です。(わたし)はどうやら、こけても大丈夫(だいじょうぶ)思わ(おもわ)れるくらい元気(げんき)見える(みえる)ようですが、いえいえ、助け(たすけ)てください((えみ)


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